幸島
| 幸島 | |
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石波海岸側から見た幸島。 | |
| 所在地 |
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| 所在海域 | 太平洋(日向灘) |
| 座標 | 北緯31度27分10秒 東経131度22分34秒 / 北緯31.45278度 東経131.37611度座標: 北緯31度27分10秒 東経131度22分34秒 / 北緯31.45278度 東経131.37611度 |
| 面積 | 0.35 km2 |
| 海岸線長 | 約3.5 km |
| 最高標高 | 113 m |
幸島の位置 | |
幸島(こうじま、こうしま)[注釈 1]は、宮崎県串間市にある無人島である。野生のニホンザルが棲息することから猿島とも言われ、大分県の高崎山自然動物園と共に、ニホンザルの研究で知られている。
地理
[編集]串間市東部、石波海岸から400m沖合いに位置している。周囲約4キロメートル[6]、標高113m。
沿岸は砂岩による地層(日南層)が取り巻いているため急峻な海崖が発達しているが、海蝕や風蝕が激しいために各所に湾入した入り江が見られる。
基本的には無人島であるが、島内には京都大学霊長類研究所によるニホンザルの調査のための幸島観察所が設けられており、研究員が常駐している[7]。
2010年代以降は大型の台風の接近が減少したことなどから、砂の堆積が進んでいるため将来的に九州本土と陸続きとなるのではないかとの指摘もある[8]。
アクセス
[編集]上陸自体は可能。渡航に際しては石波海岸から「幸島渡し」という観光用の渡船を利用するのが一般的である。
石波海岸と幸島の間は海流によって砂が堆積しているために浅く、引き潮の時には歩いて渡れる場合があるが、島外にサルが逃げ出してしまう原因になるため、控えるべきである[独自研究?]。
自然環境
[編集]全島域が日南海岸国定公園に指定されている。自然が良好な状態で残されているため、野生動物が数多く棲息する。前述のサルの研究施設が設置されているが、商業用の観光施設は一切存在せず、主に自然教育やエコツーリズムなどに利用されている。
ニホンザルの生息で有名であり、幸島のサル及び生息地は「幸島サル生息地」として国の天然記念物に指定され、文化財保護法によって保護されている[9]。先述のように砂の堆積により本土と陸続きになってサルが島外に拡散する可能性が指摘されており、周辺自治体での農作物被害、観光客とのトラブル、野生猿の研究への影響などが懸念されている[8]。干潮時にはほぼ地続きになっていることから、2017年(平成29年)4月から串間市教育委員会が対岸にサル対策の監視員を配置している[10]。
その他にはタヌキ、ノウサギ、コウモリ、ウグイス、メジロなどが生息するほか、クロサギ、イソヒヨドリなどの海鳥類も渡来する。
黒潮の影響を受ける周辺海域にはウミガメなどの海洋生物が回遊しており、日本の渚百選に選出された石波海岸はアカウミガメの産卵地である。また、黒潮によってもたらされる温暖多湿な気候は一帯の植生の生息状況も左右しており、島内には亜熱帯性植物など78科、196種の植物相が確認されている。対岸の石波海岸付近に見られる植生帯は「石波の海岸樹林」として植物天然記念物に指定されている[9]。
幸島のサル
[編集]幸島は古くからニホンザルが棲息していたといわれ、地元では幸島のサルを「和子様(わこさま)」と呼び、神使として親しまれてきた。
大正時代にも旧東北帝国大学などが調査を行っており、90頭の棲息が確認されている。なぜ、人里離れた小島に野生猿が棲息していたかは不明であるが、人為的に持ち込まれたという説が有力視されている。その中で最も有名なのが、平家の落人が小島に隠棲した際に猿を神使として飼い始めたというものであるが、伝承の域を出ない。もっとも、後のサル研究の中では本土との行き来が少数例ながら観察されているので、自然分布の可能性もある。
太平洋戦争後、米軍の統治下にあった頃、当時の米軍司令官にペットとして献上するために子ザルが捕獲されたことにより個体数が激減し、京都大学の研究員らが訪問した時点ではわずか9頭しか確認できなかった[注釈 2]。
本格的な研究を始めたのは京都大学の今西錦司と伊谷純一郎らその門下生たちで、戦後間もない1948年からだった[7]。彼らは当初、都井岬で半野生化した御崎馬(岬馬)を対象[7]とするため、調査に来ていた。幸島に野生猿が棲息していることを知ると、「馬では複雑な家族関係や社会が成り立っていない」ともの足りなく感じるようになり、 関心は幸島のニホンザルに向けられた。
イモを洗うサル
[編集]そして、ここでの研究から「人間以外の動物にも文化がある 」という説が初めて出された。1952年(昭和27年)に野生ザルの餌付けに成功し、より綿密な観察が可能になった。1953年夏、研究に加勢していた三戸サツヱが芋を洗うサルを発見し、今西らに報告した[7]。この「芋洗い行動」は最初、人間から芋をもらった1歳の雌の子猿が浜辺の小川で始め、海水に浸すことが好まれるようになり、さらにサルの血縁や群れの仲間に広がり[7]、子や孫が受け継いだ。従来「文化は人間固有のものであり、動物にはない」と考えられていた。が、世代を超え伝わっていることは、「芋洗い行動」を文化であるとする根拠の一つとなっている。
島では与えた芋を洗う様子の観察会が開かれている[7]。また、多くのサルが芋2つを両手に持って走る様子が撮影され、一時的にではあるがニホンザルが自然に二足歩行することが知られるようになった。
サル一匹ずつに全て名前を付ける(個体識別法)、親子・兄弟関係を記録し家系図を作るといった手法は三戸サツヱによって開発され、京都市・岩田山のニホンザルや(嵐山モンキーパークいわたやまを参照)、アフリカでのチンパンジーなど他所の研究でも広く取り入れられるようになった。
百匹目の猿との関係
[編集]幸島はライアル・ワトソンの作り話である「百匹目の猿現象」の舞台である[6]。この架空の話は1996年に船井幸雄が紹介してから日本でも広まったが、21世紀に入ってからは完全に否定されている。
幸島を望む展望地に「フィールドミュージアム幸島パーク」という観光公園が設置されている。この公園内には、串間市によって2004年に建てられた「百匹目の猿現象発祥の地」の石碑があり、イモ洗い猿を象ったモニュメントである(2013年に移設済み)。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ 幸島サル生息地(こうじま さる せいそくち) みやざき文化財情報、宮崎県
- ↑ https://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/koshima_st/index_e.htm Koshima Field Station, Wildlife Research Center, Kyoto University
- ↑ 例として、Craniometry of Adult Male Japanese Macaques from the Yakushima, Koshima and Kinkazan Islands Toshio MOURI, Takeshi NISHIMURA, 2002 Volume 18 Issue 1 Pages 43-47, Primate Research
- ↑ 三戸サツヱ、わたしの孫は100ぴきのサル、ISBN 4-05-102995-6、学習研究社、1989-07-26初版発行、この書籍は小学生向けのものであり、全ての漢字にふりがなが振られている。
- ↑ 三戸サツヱ、サルたちの遺言 宮崎幸島・サルと私の六十五年、表紙及び3ページの「幸島」に振られたふりがな、ISBN 978-4-396-62088-2、祥伝社、2012-04-20初版第1刷発行
- 1 2 3 幸島(串間市)こうじま(くしまし)「文化を持つサル」といわれる野生猿が多く生息する無人島 宮崎市観光サイト(2021年11月27日閲覧)
- 1 2 3 4 5 6 【時を訪ねて 1948】サル学の始まり:幸島(宮崎県)イモ洗いに「文化」目撃『北海道新聞』日曜朝刊別刷り2020年1月19日1-2面
- 1 2 “幸島猿“逃亡”の恐れ 砂堆積、もうすぐ陸続き?”. 宮崎日日新聞. 2017年3月16日. 2017年3月17日閲覧.
- 1 2 “串間市・市木地区の魅力|幸島の野生猿と石波海岸の自然が残る田園地域で、引っ越し屋が見ておきたいこと”. 赤帽ドーズキャリーサービス (2026年6月30日). 2026年8月26日閲覧。
- ↑ “ほぼ陸続き、島外に出る恐れ 幸島の猿監視スタート”. 宮崎日日新聞. 2017年4月11日. 2017年4月15日閲覧.