薩南諸島
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薩南諸島とその周辺 | |
| 地理 | |
|---|---|
| 場所 | 東シナ海、太平洋 |
| 諸島 | 南西諸島 |
| 主要な島 | 種子島、屋久島、口永良部島、奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島 |
| 長さ | 500 km (310 mi) |
| 最高標高 | 1,936 m (6352 ft) |
| 最高峰 | 宮之浦岳(屋久島) |
| 行政 | |
| 都道府県 | 鹿児島県 |
| 最大都市 | 奄美市(人口38,486人[1]) |
| 人口統計 | |
| 人口 | 133,770人[2](2025年年時点) |
| 追加情報 | |
| 時間帯 | |
薩南諸島(さつなんしょとう)は、南西諸島のうち、鹿児島県南方に位置する島嶼地域を指す地理的総称である。鹿児島県の資料では、大隅諸島、トカラ列島、奄美群島からなる地域として扱われている[3]。
薩南諸島は九州南方から南西方向に連なり、鹿児島県の資料では約500 kmにわたる島嶼地域として扱われている[4]。
「薩南諸島」は行政区域を示す名称ではなく、資料によってその範囲が異なる場合がある。本項では、鹿児島県の資料に基づき、大隅諸島、トカラ列島、奄美群島を基本的な範囲として扱う。
名称と範囲
[編集]「薩南諸島」の範囲は、資料の目的や定義によって異なる。鹿児島県の資料では、大隅諸島、トカラ列島、奄美群島を含む地域として扱われている[3]。
一方、鹿児島県の地域防災計画では「薩南諸島」を一つの対象地域として扱い、薩摩硫黄島、口永良部島、中之島、諏訪之瀬島などを対象としている[4]。
このため、「薩南諸島」を用いて島数、面積、人口などを示す場合には、対象とする範囲を明示する必要がある。
地理
[編集]位置
[編集]薩南諸島は九州南部の南方に位置し、東シナ海と太平洋の間に連なる。
島々はおおむね北から南へ大隅諸島、トカラ列島、奄美群島の順に分布する。
鹿児島県の資料では、薩南諸島を約500 kmにわたって連なる島嶼地域として扱っている[4]。
大隅諸島
[編集]大隅諸島は薩南諸島北部に位置する島嶼群である。主な島として種子島、屋久島、口永良部島などがある。
トカラ列島
[編集]トカラ列島は、大隅諸島と奄美群島の間に位置する島嶼列である。
主な島として、口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島がある。
トカラ列島には火山島が多く、火山、海食崖、サンゴ礁などの地形がみられる[7]。
奄美群島
[編集]奄美群島は薩南諸島南部に位置する島嶼群である。
鹿児島県は、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の8つの有人島からなるとしている[8]。
島嶼
[編集]薩南諸島を構成する主な島嶼は、地理的には大隅諸島、トカラ列島、奄美群島に区分される。
| 地域 | 主な島 |
|---|---|
| 大隅諸島 | 種子島、屋久島、口永良部島、馬毛島、竹島、硫黄島、黒島 |
| トカラ列島 | 口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島 |
| 奄美群島 | 奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島 |
この区分は薩南諸島の地理的範囲を説明するためのものであり、行政上の地域区分とは異なる。
地形・地質
[編集]薩南諸島は南北に長く連なるため、島によって地形や地質が異なる。
大隅諸島では、屋久島の高標高山地が特徴的である。屋久島には標高1,936 mの宮之浦岳が位置する[6]。
トカラ列島では火山島が多く、火山地形、海食崖、サンゴ礁などが分布する[7]。
奄美群島ではサンゴ礁や亜熱帯林が発達し、北部の火山島を中心とする地域とは異なる地形・自然環境がみられる。
火山
[編集]薩南諸島には火山が分布している。
鹿児島県の地域防災計画では、薩南諸島の火山として、薩摩硫黄島の硫黄岳、口永良部島の新岳、中之島の御岳、諏訪之瀬島の御岳を扱っている[4]。
自然
[編集]薩南諸島は南北に長く連なるため、島ごとに異なる自然環境が形成されている。
屋久島では高標高域を含む森林が発達している。トカラ列島では火山、海食崖、サンゴ礁などがみられる[7]。
奄美群島では亜熱帯林やサンゴ礁が発達し、固有種を含む多様な生物相が形成されている。
行政区分
[編集]薩南諸島は単一の行政区域ではなく、複数の市町村に属している。
| 地域 | 主な行政区 |
|---|---|
| 大隅諸島 | 西之表市、中種子町、南種子町、屋久島町、三島村 |
| トカラ列島 | 十島村 |
| 奄美群島 | 奄美市、大和村、宇検村、瀬戸内町、龍郷町、喜界町、徳之島町、天城町、伊仙町、和泊町、知名町、与論町 |
行政上の市町村区分と「薩南諸島」という地理的総称は一致しない。
歴史
[編集]古代・中世
[編集]薩南諸島の島々では、古くから九州本土および南方の島々との間で海上交通や交流が行われてきた。
近世
[編集]近世には、薩摩藩の勢力が鹿児島県南方の島々に及んだ。
近代
[編集]明治期の地方制度整備に伴い、島嶼部についても行政区画の再編が行われた。
1896年(明治29年)には「鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」が公布され、鹿児島県内の国界・郡界および郡の廃置が定められた[9]。
第二次世界大戦後
[編集]1946年(昭和21年)2月、北緯30度線以南の島々が日本の行政権から分離された。
これにより、旧十島村の区域は、竹島・硫黄島・黒島からなる上三島と、その南方の島々からなる下七島に分断された。
1952年(昭和27年)2月10日、下七島は日本に復帰し、上三島を区域とする三島村と、下七島を区域とする十島村が発足した[10]。
文化・歴史的地域区分
[編集]この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
薩南諸島では、島ごとに異なる歴史的・文化的背景が形成されてきた。
種子島・屋久島などでは九州南部との関係が形成される一方、奄美群島では琉球王国を含む南方地域との歴史的関係がみられる。
このため、薩南諸島を一つの均質な文化圏としてではなく、島嶼群ごとに異なる歴史的背景を持つ地域として捉えることができる。
第二次世界大戦後の行政史
[編集]第二次世界大戦後、薩南諸島南部では日本の行政権の及ぶ範囲が一時的に変更された。
1946年の行政分離によってトカラ列島の一部が日本の行政権から分離され、1952年に復帰した[10]。
その後、1953年には奄美群島が日本に復帰した[11]。
これらの復帰によって、現在の鹿児島県南方の島嶼部を構成する行政区域が形成された。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ↑ “数字でみる奄美市”. 奄美市 (2026年3月31日). 2026年8月18日閲覧。
- ↑ “令和7年国勢調査 人口速報集計”. 総務省統計局 (2026年5月29日). 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 “ブルー・ツーリズム”. 鹿児島県. 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 3 4 “第5部 薩南諸島”. 鹿児島県. 2026年8月18日閲覧。
- ↑ “第4編 被害シナリオ”. 鹿児島県. 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 “日本の主な山岳標高”. 国土地理院. 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 3 “トカラ列島県立自然公園”. 鹿児島県. 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 3 “奄美の世界自然遺産登録”. 鹿児島県. 2026年8月18日閲覧。
- ↑ “鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律”. ウィキソース. 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 “トカラ列島の日本復帰”. 鹿児島県. 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 “昭和28年(1953)12月|奄美大島が返還される”. 国立公文書館. 2026年8月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 鹿児島県『ブルー・ツーリズム』
- 鹿児島県『第5部 薩南諸島』
- 鹿児島県『第4編 被害シナリオ』
- 鹿児島県『トカラ列島県立自然公園』
- 鹿児島県『奄美の世界自然遺産登録』
- 鹿児島県『トカラ列島の日本復帰』
- 国土地理院『日本の主な山岳標高』
- 国立公文書館『昭和28年(1953)12月|奄美大島が返還される』