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元宿神社

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元宿神社

拝殿
地図
所在地 東京都足立区千住元町33-4
位置 北緯35度45分21.78秒 東経139度47分30.48秒 / 北緯35.7560500度 東経139.7918000度 / 35.7560500; 139.7918000座標: 北緯35度45分21.78秒 東経139度47分30.48秒 / 北緯35.7560500度 東経139.7918000度 / 35.7560500; 139.7918000
主祭神 誉田別命・倉稲魂命
神体 八幡大善菩薩像
社格等 旧村社
創建 天正元年(1573年)
別名 八幡神社(旧称)
札所等 千住七福神 寿老人/荒綾八十八ヶ所霊場五番
例祭 9月15日
地図
元宿神社の位置(東京都区部内)
元宿神社
元宿神社
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元宿神社(もとじゅくじんじゃ[1]、もとしゅくじんじゃ[2])は、東京都足立区千住元町にある神社。境内には、荒川放水路の建設に伴って土地を離れた住民の経緯や心情を伝える足立区登録有形文化財の感旧碑がある。また、千寿七福神の寿老人を祀る。

現在は千住本氷川神社の兼務社。

歴史

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鎌倉時代から千住北西部(西新井橋付近)には集落があり、千住宿ができる以前は奥州街道が通っていたといわれている。日光街道ができたことに伴い千住宿が設けられ、それに対して元宿と呼ぶようになった[3]。

1573年(天正元年)、鈴木左衛門信義は元宿耕地の北東に稲荷神(稲荷神社)を、南東に八幡神(八幡神社)を祀った。1910年(明治43年)4月、神社合祀令により八幡神社が四丁目氷川神社に合祀されたが社殿は残された[4]。

稲荷神社は荒川放水路の建設工区に含まれるため明治末期に四丁目氷川神社に合祀された。その後1930年(昭和5年)に八幡神社は元の社殿に戻り稲荷神を合祀し、村社となった[3][4]。

元宿は1932年(昭和7年)の市郡併合で足立区が誕生し、千住町開拓の初の地であることから千住元町と名前が変わったことに伴い、八幡神社は元宿の名前を残したいという地元の人々の希望により、元宿神社として元宿の鎮守となった[5][6]。元宿と呼ばれていた付近は荒川の川底になっている[4]。

境内・文化財

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元宿神社 感旧碑(大正5年)

感旧碑

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1911年(大正元年)荒川放水路の工事のため、改修区域内の住民が移転せざるを得なくなった。1916年(大正5年)に、同地に長く住んでいた鈴木左衛門信義の子孫、鈴木与吉がこの場所を去るにあたっての心情を碑として残した[7]。

感旧碑は鳥居をくぐって左にある。足立区登録有形文化財であり[8]、開拓者鈴木一族の想いが漢文で綴られている[4]。

碑には、

  • 武田氏に仕えた家柄だった
  • 陸羽街道の元宿に住んだ
  • 天正元年に田を作った
  • 翌年には村の東南に八幡神を祀り東北に稲荷神を祀った
  • その後徳川に仕えた
  • 一時期は減ったが14の家があった
  • 天明の飢饉でもここを去らなかった
  • 明治40年、明治43年の洪水の時の大きな被害でもここを去らなかった
  • 大正元年に荒川改修の範囲になり14の家は去ることになった
  • 一族がここに住んで400年、この地を去るにあたってその愛慕の情を禁じえず、碑を建てて伝える

などの内容が書かれている[9]。

荒川放水路の工事では1300戸が移転の対象となったといわれている[10]。

移転に際して得た補償金は、銀行が倒産したため、鈴木与一をはじめこの土地に住んでいた人たちが土地代を得ることができなかった。土地買収協議書には「六町一反七畝九歩六合九勺を二万五千六百五十五円三十銭(一坪約一円四十二銭)」と記載されている[11][注釈 1]。

千寿七福神

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1993年(平成5年)に地域おこしの一環で千寿七福神が制定され、それぞれの石像が安置された。当時は寿老人は源長寺だったが、2008年(平成20年)には構成する寺社が変更され寿老人は元宿神社となり、石像がある[4][12][13]。手水舎と社務所の間に石像が祀られている[14]。

元宿神社 八幡神

八幡大善菩薩像

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元宿神社の鳥居付近、手水舎の手前の石造りの祠内に安置されている。これはこの神社がかつて八幡神社だった頃の御神体で、甲斐武田氏に仕えていた鈴木因幡守貞宗が御神体を背負って信濃の戦場を駆け巡り必勝を祈願したと伝わる。1689年(元禄2年)、元宿から千住四丁目に移った人たちが献納した[4]。

鳥居・庚申塔

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1895年(明治28年)の石鳥居[15]と自然石の庚申塔がある[16]。

大師堂

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境内にある大師堂は、荒綾八十八ヶ所霊場の5番となっている。元札所の多聞寺は廃寺となっている[17]。

境内社

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境内

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本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎、社務所[7]。

祭神・祭事

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祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)[4]。

祭日は9月15日で、例大祭が行われている[15][18]。

2月3日に節分祭が行われ、拝殿と神楽殿で豆撒きがある[19]。

脚注

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注釈

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  1. ↑ 約5,570坪の土地を25,655円30銭で売却した。坪単価は約1円42銭であった。

出典

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  1. ↑ “元宿神社”. 東京都神社庁 (2026年8月18日). 2026年10月6日閲覧。
  2. ↑ 足立区. “感旧碑”. 足立区. 2026年10月8日閲覧。
  3. 1 2 “千寿七福神めぐり” (PDF). NPO法人・越谷市郷土研究会 (2014年1月5日). 2026年10月6日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 岡野進『千住宿歴史ウォークガイドブック2千住全域(千住一丁目から五丁目を除く)』2021年3月、75-77頁。ISBN 9784990703349。
  5. ↑ “千住元町町会略史”. 千住元町町会. 2026年10月6日閲覧。
  6. ↑ “新修足立区史 上巻”. adeac.jp. 2026年10月6日閲覧。
  7. 1 2 3 4 “【元宿神社(足立区千住元町三三-四)】”. adeac.jp. 2026年10月6日閲覧。
  8. ↑ 足立区. “文化財一覧”. 足立区. 2026年10月6日閲覧。
  9. ↑ 東京都足立区役所『新修 足立区史 下巻』東京都足立区役所、1967年11月1日、675頁。
  10. ↑ 関東地方建設局 建設環境研究所『都市を往く荒川 : 荒川下流工事事務所七十五年史』建設省関東地方建設局荒川下流工事事務所、1990年1月1日、117-118頁。
  11. ↑ 絹田幸恵『荒川放水路ものがたり』太郎次郎社エディタス、2025年10月25日、77頁。ISBN 978-4-8118-0869-7。
  12. ↑ “千寿七福神めぐり | あだち観光ネット” (2016年10月6日). 2026年10月6日閲覧。
  13. ↑ wpadmin. “千寿七福神巡り”. NPO法人 千住文化普及会. 2026年10月6日閲覧。
  14. ↑ 足立区立郷土博物館 編『千住生活史調査報告書』足立区立郷土博物館、2012年3月、62頁。
  15. 1 2 東京都足立区役所『新修足立区史 上巻』東京都足立区役所、1967年11月1日、757頁。
  16. ↑ 石川博司『足立区を歩く』ともしび会、1999年4月30日、44頁。
  17. ↑ “★弘法大師 荒綾八十八ヶ所霊場”. 日本各地の巡礼・巡拝霊場の紹介. 2026年10月6日閲覧。
  18. ↑ 足立区教育委員会文化課『足立風土記稿 地区編1 千住』足立区教育委員会、2004年3月、268-269頁。
  19. ↑ 足立区立郷土博物館 編『千住生活史調査報告書』足立区立郷土博物館、2012年3月、68-69頁。

外部リンク

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